シナモンの憂鬱

シナモンの憂鬱

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1)切っ掛け

 

 

 

あっ という顔は 一瞬だった。

 

 

私はただ ふと目に留まり、何気なく聞いただけだったのだ。

 

 

「珍しいね」

 

と。

 

 

 

2)普段通りの、

 

 

通い過ぎて、もう第2の居間のようになっている喫茶店で、「いつもの」の一言で出てくる好みのコーヒー。

 

ソーサーに添えられたシナモンクッキーは、甘いものが苦手だから という理由で 今まで例外なく私の胃袋に収まってきた。

 

 

だからその 小さな赤い包装フィルムを無造作に破り、口に運んだ彼に“今日もいい天気ね”というような気安さで聞いたのだ。

珍しい、と。

 

 

3)綻び

 

その瞬間、彼は今までぼやけていた焦点が不意に合った というようなハッとした表情になり、ぎこちなく笑った。

 

 

「あ…うん。

最近ちょっと、疲れ気味でさ…。

 

関節の目立つ長い指が、落ち着きなく薄いフィルムを弄ぶ。

 

 

「そっか。

大丈夫?」

 

「うん、平気。

ありがとう。

 

 

そのまま日常報告へと流れてゆく会話に相槌を打ち、適度に話しを混ぜ返しながら。

 

コーヒーカップに唇を付け、私は先程見た光景を、瞼の裏で再生する。

 

 

指先でほどける 赤を。

 

 

甘いシナモンの香りを。

 

 

そして何より、指摘された瞬間の、揺れる瞳を。

 

 

4)崩れる

 

 

 ーーーーたかがクッキー、ではないのかも知れない。

 

 

味の好みが変わり、それが無意識の動作として出てしまう程の時間、彼はどこで、誰と、どんな時を重ねていたのだろう。

 

 

そして、いつから私は、隣にいた筈の彼とのささやかなやり取りに、きちんと目を向けなくなっていたのだろう。

 

 

 

口元に 緩やかな笑みを浮かべ 言葉を紡ぐ彼の、伏せられた睫毛をぼんやり眺めながら、

 

 

私はただ、冷めてゆくコーヒーの苦みを感じている。

 

 

 

〈了〉

 

 

恋の始まり も勿論、恋の終わり に気付くのも、ほんの些細な事から なのかも知れない。

ライタープロフィール
惹庵
惹庵
仄暗い路地を抜け、低く軋む木戸を開く。
そこにあるのは果てのない自由。
その身を縛るものは何もない。

ようこそ、我が庵へ。
大人の愉しみをごゆるりと。
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